Facebookのタイムラインを眺めていたら、友人がとある整体師の講演会に「興味ある」と言っているのを見かけました。
それで、僕は特に興味はなかったのだけれど、無料だし、スケジュールもあいていたので聴講してみることにしました。
さきほど、そのオンライン講演会が終わったところです。
感想と、それに続く考察を書きます。
とある整体師の話
まず、興味ない人の話や話題を聞くのもいいことだな、と思いました。
スピーカーの人は40代で脱サラして、整体師として起業したんだそう。当初は経営的にも苦しかったが、マーケティングを意識しはじめると利益が出るようになったという。
講演では、整体師として年間約47兆円にものぼる日本の医療費をどうにかしたいのだと力説していました。
また、病気というのはそもそも悪いものではなく、身体からのサインであること、ゆえに薬等で表面だけ治してもあんまり意味はない、とも話していました。
脱サラや起業について。
大卒で大企業に就職したが、35歳くらいから自社がやっていること、そして自らの仕事に違和感を感じるようになった。なんでこんなことやっているんだろう、みたいな。
こんな状態じゃあ生きていけないと感じ始めて、10年くらいうつ病で苦しんだ。それがきっかけとなって整体師への道を志した。
ここまでは、へぇそうですか、という感じで耳を傾けていました。
本当にほしいもの
印象に残ったのは、10億円あたったらどうするか、という話です。
お金の話ではありません。こういう話でした。
宝くじを買ったら10億円あたりました。
換金は今日までです。けれども外は土砂降りです。ほとんどの人は、それでもレインコートを着て傘をさして銀行の窓口へ向かいます。
高額当選者は宝くじ売り場ではなく、銀行の窓口へ行かないといけないそうです。
続けます。
さあ、銀行が見えてきました。ところがこのとき、あなたは転んでしまって腰を痛め、足をくじいてしまいました。歩けないほどの痛みがあります。
それでも、多くの人が這ってでも銀行の窓口へ行くはずです。あなたもきっとそうするでしょう?
それは、なぜでしょうか。
なぜなんでしょうね。
スピーカーはこう言いました。
それは、その10億円は本当にほしいものからです、と。
この話が示唆するのはこういうことでした。
すなわち、人は本当にほしいものがあれば何としてでも手に入れようとすること。そして、そのための努力は努力と感じず、自ずと手に入れようと動くということ。
でもそのためには、まず自分が何を本当にほしがっているのか知らないといけません。手に入れようがないからです。
1年後、5年後、10年後、自分がどう生きていたいのか。
それを考えることが、自分が本当にほしいものを明確にするための、第一ステップです。
ジャッジしない
そんな感じで、整体とは全然関係ない話が強く印象に残りました。
ちなみに僕以外の参加者は、整体師として独立した人とか、学校に通い始めた人とか……整体に関係する人たちばかりでした。
僕だけが異質でした。(笑)
いまのところ、僕は整体にも脱サラにも起業にも興味がありません。けれど、話を聞いてよかったなって感じています。
いま読んでいる、村上春樹のインタビュー集にこんな話がありました。
僕は人の話を聞くのがとても好きです。でも、ジャッジはしません。ただ聞いて、その人が何をどのように考え、捉えているのか。それをひたすら観察するのです。小説を書くためにやっているのではありません。もともとそういうことが好きでやっていて、たまたま小説を書くときに活きているのです。
たくさんの人物像が頭のなかにある引き出しに蓄えられ、必要なときにそれらを引き出し、複数人の要素を合体させて登場人物が生まれます。
僕は別に小説家になるつもりはないし、ご覧のとおり文才もないのですが(^^;)、そんなことはどうでもいいことで。(笑)
僕が思ったのは、こういうことです。
社会人になり、歳をかさねていくと自分の考えが固まっていきます。すると、次第に人や物事をジャッジするようになりますね。
「ああいう考え方はダメだ」
「こういう人はマズイ」
これらのジャッジはより効率よく生き抜くために必要なので、けっして悪くはないのですが……しかしながら一方で、それが凝り固まった結果、誰かを非難し傷つけたり、時代の流れについていけずに卑屈になったりするのだと思うのです。
僕はそうならないためにも、興味の有無に関わらず、時間とお金の許容範囲内においてはフラットな姿勢を維持したいな、と感じました。
ジャッジしないで、観察することです。
自分の好き嫌いはそれとは別。
そうすることで活動範囲が広まるし、「そんな世界もあるんだな」って知ることもできるからです。
さいごに
来年から会社員として働き出すというタイミングで、脱サラした人の体験談を聞くというのはなんとも可笑しみのある時間でした。
けれど、すごくいい時間になりました。
自分らしく生きている人というのは、きっとどこかで「どう生きていきたいのか」を自分自身に問うている人なのだと思います。
脱サラしていようが一生会社員だろうがそんなの関係ないんですね。
ただ、会社員だと盲目的に生きていられるので、生き方を振り返らずに済んでしまう人もいる、ということでしょう。
僕はまず、来年からは仕事にいい意味で一生懸命になろうと思っています。その上でいろんな経験をして、整体師を志したらすごいことですよね。今回の時間がきっかけになってたりして。
そういう偶然が、キャリアを、人生をつくっていくのかもしれませんね。
ではまた。