その歳までそんなことしてて、楽しいんだろうか?、と思うことがある。
歳を重ねた人が、自分のことを理解し苦痛から抜け出そうとしている姿を見ると、そんなふうに感じる。
悲しくなる。
背景は人それぞれ様々なのだから、自分の価値観で他人をジャッジすることは無意味なんだけどさ。
僕が感じているこの悲しさは、そういうのではないと思う。
その人に自分を重ね合わせてしまい、そんな歳になってもまだ今の自分が抱いているこの鬱屈したところとか、終わりのない苦しみが変わらないのではないか、と危惧するから。
自分を知るというのは、そもそも楽しいのか。
僕は、生物学とか心理学が好き。それは、この世の構造を知りたいから。そして自分の身体について知りたいから。
何がどう作用して、どのような結果になるのか。
食べ物を食べると何のホルモンがどのように分泌され、口から入れたものが最終的に排泄されることになるのか。
その過程が知りたい。
どうして知りたいのか。
それが疑わしいと感じている。
最初は、単純に知りたいからだと思っていた。けれど、もしかしたら……。
構造を知り、過程を知ることで何かのヒントを得ようとしているのではないか?
知ること自体にも楽しさはあるが、それよりも実は別の目的があるのではないか?
そんな気がしてならない。
別の目的。それはより良く生きることだったり、鬱屈した感情や苦しみから抜け出せない、いや、抜け出そうとしない心を、どうにかして打破したい。そっちがメインの目的なのではないか、と。
そう考えてしまった結果、冒頭のような、自分の2倍近く歳を重ねた人が自分と同じような勉強をしていたり、趣味嗜好が似ていたりすると怖くなってしまう。
勝手に自分を重ねているだけなので、その人の考えは聞いていないし、ものすごく迷惑な話なのはわかってるんだけれど……(^^;)。
毎日毎日、時間をやり過ごすことだけで精一杯。