昔、僧侶になろうと思ったことがあって、そのときにお坊さんがこう言っていました。
瞑想の訓練に、身体の一部を失ったことを徹底的に想像する、というのがある。
私は目や耳を失うことを、それぞれ2週間ずつずっと考え続けた。そうすると、命以外の何を失っても生きていけるのだとわかったのです。
その話を聞いてから、ふと考えては忘れ、を繰り返しています。
先ほども音楽を聴きながらそんなことを考え出したので、書き残しておこうと思いました。
耳が聞こえなくなったらどうなるか。
まずは、音楽が聴けませんね。これはツライなぁ。それまで聴いてきた音楽を脳内再生するしかありません。新しい曲も聴けないし、イヤホンしたときの、あのズンズンする感覚、ドラムやギターが鳴り響くさまは体験できなくなってしまいます。
それと、一般的な会話ができなくなります。これもツライ。
手話という方法がありますが、相手も手話できないと成り立たないし。ほとんどの人はできませんから、やはり通常の会話が不可能になるダメージは大きいです。
耳が聞こえなくなることで、事故にあいやすくもなりますね。
また、僕はもともと感覚を大事にしています。すると、カメラのシャッター音やPCのキーボードを叩く音を楽しむこともできなくなってしまう。とてもツライです。
さいごに
このように、あらゆる楽しさが奪われてしまうということがわかりました。
一方で、生きることには意外にも困らないのかもしれないという気持ちにもなるし、これまで耳で楽しむことが多かったという事実にも気が付きました。
両耳が同時に聞こえなくなる、というのは稀なのかもしれませんが、片方だけ聞こえなくなっても、やはりザンネンに感じるでしょう。
音が聞こえるというのはとてもありがたいことですね。
あなたは音が聞こえることに、また聞こえなくなったとしたら、何を思うでしょうか。ぜひ考えてみてください。
ではまた。