(憂鬱日記)
今の感情。早く時間が経ってほしい。
- 30〜40
- 40〜50
- 50〜60
- 60〜70
あと40年間もある。ふいにメモ用紙に数字を書いて、絶望した。
さっさと終わりにたどり着きたい。
と書くとみなさんはイヤな気持ちになるんだろうか。僕は、今ものすごく憂鬱な気持ちではなくて、いつもどおりの心情なのだけれども。
早く寿命を終えたいと聞いてイヤな気持ちになる感情が理解できなくて苦しい。生きていたいってことなのだろうか。人生がたのしいってことなのだろうか。これを書いている今、本気でそれがわからない。もしわかる日が来るとして、その日に今日これを書いたことを後悔するなら、それほど嬉しいことはない。
(あえて書き残しておくのは、同じ心情の人を探索するためと、感情の記録のため)
40年間もあって羨ましいと感じる人と、40年間もあって絶望する人といる。僕は明らかに後者。
これはコップの水のたとえと同じなのか。考え方次第では、僕と同い年の人でも「あと40年も生きれる!」と考えただけでウキウキするんだろうか。僕にはまったく理解できない。
あるいは、30歳ではわかるはずもないことなのか。子供にはわからない親の気持ちのように、歳をとらないと生きるありがたさやたのしさは理解できないのかもしれない。
でも「そのとおりです」と言ってくれる人はいない。そう体現している人も見かけない。何歳であっても、生きているから生きている、という感じに見えてしまう。
生きていたくて生きている人なんて、この世にはいないってことか。ならば、それを望んでしまうこの気持ちはいったいなんなのか。
この1年を生きるだけで、すでに溺れかかっているに等しいというのに、あと40年間もこうしてジタバタしないといけないというのがツラくてしかたない。
みなさんはどうやって日々生きているんだろうか。忙しすぎて考える間もないという人がほとんどな気がする。忙しくなればいいのか。それはツラさを別のツラさに変換しているだけだと思えてしまって、全然希望的にはなれないのだが……。
そんな30歳の今日この頃の心境。
(追記)
だからこそ、生きている喜びに該当する何かに敏感なのだとも思う。聞こえる音、匂い、手触りなど。