
心理学の勉強をしているとき、格闘技をやっていた先生がこう話していた。
打たれて失神しているあいだ、実はものすごく気持ち良い。肉体から解放されて、痛みも何も感じない。中にはそれがクセになってしまう人もいる。
でも長時間失神してしまうと命に支障が出てくる。「味わってはいけない、必ずこちらに戻ってこなくてはならない」。トレーナーさんにそうキツく教えられた。
そうして戻ってくると、打たれた箇所も痛いし、身体全身が痛いのだという。そうしてしばらくの間は、肉体に閉じ込められているという感覚があるとかないとか(ここまで話していたかは忘れた)。
いずれにせよ、僕は先生の話を聞いて、やはり肉体に閉じ込められているのはツライことなんだと思った。
身近に、飼っていた犬が亡くなった人がいる。ある人は先日母を亡くし、父の介護を一人でやっている人もいる。僕はこの前おばあちゃんが亡くなって、そのお墓参りに行ったばかりだ。
他方では、彼女ができて嬉しすぎて、「オレたぶん今の人と結婚しますよ、そんな気がします」だなんて笑顔で言っていた人もいる(僕じゃない、まだ彼女できない……)。
そんな感じで、終わりと始まりに出くわすことがここ最近なぜか多い。
ところでみなさんは、星座の物語ってどう思うでしょうか。
あんなのでっち上げだと言われればその通り。僕が注目しているのは、それが真実かでっち上げかではなくて。「なぜ人は何もないところにストーリーを紡ぎ出すのか」ってところ。
人類は脳が発達して、未来予測ができるようになった。
危険を察知したり作戦を練ったりするようになった。ところが同時に、未来に不安を覚えることも増えた。不安があるから危険を回避したりもできるのだが、まだ来てもいない未来に精神的なダメージを負う場合もたくさんある。
そこで、勝手にストーリーをでっち上げるという行為につながるのだと思う。余計な不安を鎮めるために。
僕は、ここ最近の出来事を受けて、人生ってつらいことばかりだなって、正直そう思った。今日もそう思ったし、昨日もそれを感じた。
で、ふと心理学の先生が話していたことを思い出した。肉体に閉じ込められている。その時点ですでに痛みがあるのだろう。生まれたときからだから、いちいち意識しないだけで、今日も昨日も寝ても醒めても痛みはある。
でも、と思う。星座の物語のように、どうしてもつらいと「なぜこんなにもつらいのに生きているのか」という疑問に対して勝手にストーリーをでっち上げる。
ここからは僕だけのストーリーなので、共感できないかもしれない。
「なぜこんなにもつらいのに生きているのか」という疑問に対して、僕はこんなストーリーをでっち上げている。それは、「味わいたかったから」というもの。
味わうには、感覚がなければならない。そして感覚とは肉体がなければ成立しない。肉体がなければ何かを感じることはないし、味わうことだってできない。
僕はあらゆる感覚を大切にしている。気がついたらそうしている自分がいた。手触りとか、音とか、重さとか。みんなもそういうところはあると思う。
僕は恋愛がしたい。それは自分には絶対的に足りていないものを他方が持っていて、それがほしいから。そこに触れたいし、感じたいからだ。
でもそういうのって、全部が喜びにつながるものではなかったりもする。ケガをしたら痛い。拒否されるとつらい。これらはすべて肉体があるがゆえだし、感覚があるから苦しみがある。
それらはきっとセットのもので、いわばコインの裏表の存在。
コインに表しかない、なんてありえないのと同様に、喜びがあれば痛みもある。痛みはどうしてもイヤなもので、できれば喜びだけがほしいと思うのだけれど、それではそもそも成り立たない。受け入れるしかないけれど、そんなの簡単じゃない。だから人はやっぱりストーリーをでっち上げて、なんとか真理を飲み込もうとするんだろうなぁ。
この話、特に答えはないし結論もない。けれど、ここ最近の出来事を受けて思ったことを残しておこうと思って書いてみた。
必ず終わりが来るので、それを思い出して、どうでもいいことは捨ててしまって、大切にしたいものだけ抱えて生きればいいのだという気がしている。