こんにちは。ぬこです。
本当は、記事にするのではなくて、コメント欄に書きたかったのですが...。
えす (id:Sakurachannel0530) さん、すみません。数行書いてすぐ、「コメントにしては量が多くなりそうだな...」と思い、こちらに書くことにしました。
えすさんは15歳の男子高校生です。
上の記事を、ザックリまとめてみると、
- 「勉強しておけば、とりあえず社会の上位層にいける」と聞いた
- でもなんだかな、それで本当に良いのかな...と、不安を抱いた
- しかしその不安は、勉強が得意でない自分だからこその、「逃げの発想」なのではないか?
- 自分は今この瞬間は楽しんでいるつもりだ。しかし何がなんなのか、頭が混乱してきた。どうしたらいいのだろうか。人生における成功って、何なのか
...と、こんな感じでしょうか。
学生さんならば、上の記事内容について、強く共感を覚える人もいるかと思います。
社会人の方ならば、共感と同時に、何を感じるでしょうか。
わたしは以下のように思いました。
わたしの学生生活
わたしも過去、同じように考えていた時期がありました。25歳なので、15歳というとちょうど、10歳前ですね。
その頃は、疑問に思っていたのはいいとして、考えを広げるだけの時間がありませんでた。
わたしの両親は教育熱心です。夜20時になってもリビングにいると、「いつ勉強するの?」と言い放つ、あの母親の顔が忘れられません。
しかし、それもあってか、大学はMARCHを卒業しました。
ここで断っておきたいのは、「あなたより私のほうが上だ」といったような、歪んだ感情でこれを書いているわけではありません。
わたしの学生生活は、「それなり」でした。良くも悪くもなく、といったところ。
正直、勉強をやってもな...と思うところはあります。次で話しますが、いい会社に行けたわけでもありませんから。社会的な成功という観点で見れば、遠くにいることでしょう。
それでも、わたしが自覚していないだけで、学歴によるメリットもあるのかもしれません。
それに関しては、今のわたしにはなんとも言えないのです。
「勉強ができてもな...」というのは、あくまで今の自分にとって、あまりそのありがたみというか、メリットは感じられません、という話です。
環境は変わる
ここからが本題です。
今現在、えすさんのようにまだ若く(といってもわたしも25歳ですが)、周囲を取り囲む世界が「学校」や「勉強」しかない環境では、“見えていなくても”仕方がありません。
わたしだってまだ25歳ですから、自分が15歳のときと比べたら、視野はだいぶ広がりました。
けれど、30、40、50歳になる度に、自分がこの記事を読んだら何を思うか...。
それぞれのわたしはきっと、別々の考えを有しているかと思います。それくらい、時が経つと“見えてくる世界”が変わります。周りの環境が変わるからです。
- 周囲の人間たちの種類
- お金の問題
- 両親との仲
- 住む場所
- 働き方
- 結婚観
- ...
挙げていったらキリがありません。
思考停止の学生時代
先ほど、「わたしも学生時代に似た考えを持っていた」と言いました。
ところが、親が勉強に厳しくて、また周りの人たちも勉強に励んでいたため、じっくり考えるヒマがありませんでした。
どうなんだろうとは思ったことは何度もありましたが、親に反抗するわけにもいかず、また、ではどうしたいのかと尋ねられても、答えに窮する自分がいたからです。
だから、「勉強さえやっていれば、とりあえずは良いのだろう」という、思考停止状態になりました。その結果がMARCH合格であり、「生きててもしかたないな...」という、昨年までのわたしを作ったのでしょう。
勉強していればとりあえずは良い、だなんてアホですよ。
アホですが、当時の自分はそのようにしか考えられなかったですし、今の自分を想像できるはずがないのですから、仕方ありません。
考えたって答えが出ないことも、ありますから。
考えても仕方がないこともある
思考停止してまで勉強をし、それでなんとなく大学に行って、なんとなく社会に出る。
どこか引っかかるんですよね。気持ちはわかります。
はっきりいいます。えすさん、あなたはすごいです。
こう書いているわたしは、まさに今、涙腺がゆるんでいます。
なんだか泣けてきそうです。自分なりに一生懸命考えていて。
頭の中を整理できず、夢中で書きなぐったようなブログ記事に、10歳年上のわたしはただひたすら、心を動かされます。
わたしなんか、「よくわからんがとりあえず、勉強していれば親は黙っているし、自分もムダな考えをしなくて済むからいいや」なんて考えていたのですから。
しかし、一生懸命考えているからいいのか、というのも無理があります。「考えれば答えは出るのか」という問いもありますから。
いろんな人がいますよ
さきほど、わたしはMARCHの大学を出た、と話しましたが、社会的に成功するようなキャリアにいるかというと、いいえ、です。
そりゃ、MARCHごときでは無理でしょうよ、と言われればそれまでですが、東大を卒業したって、多分似たようなもんです。
働かない人もいるし、バリバリ働いて体を壊し、再起不能になる人もいる。
逆に、高給取りとなって家庭を持つ人もいるでしょうし、持って生まれた感性で食べている人だってきっといますね。
中卒で工事現場の現場監督員までのし上がった人もいるし(高給取りです)、専門学校に行って、シェフを目指している友人もいます。
今、見ている世界、感じている世の中、考えている範囲がすべてではありません。
25歳の、行動力に乏しく、ネガティブでへこんだ面を持つわたしですら、そう断言できます。
だからきっと、その通りなんだと思っています。
混乱しながらまとめると...
なんだかわたしも、書いていて頭が混乱してきました。それくらい、複雑で広すぎる問いだと感じます。
人生における成功とは何なのか。
わたしが言いたいのただ一つ、「考えても、考えなくても答えは出ない問題があるとしたら、それはきっと、考えても仕方がないことなのではないか」ということです。
過去のわたしは、勉強に集中した。その結果、一応名の通った大学を卒業したものの、さて結果はどうでしょうか。誰も知らないような中小企業で、興味関心もない仕事に身を削っています。昨年は本気で死をイメージしていました。でも今はこうしてブログを書いたり、カメラを持ってお散歩したりして、楽しんでいます。
えすさんは今、苦手な勉強をしないと、社会にへし折られるのではないか、はじき出されるのではないか、と思っているのかもしれません。
実際にその通りになった人もいるでしょうし、その真逆、素晴らしい世界に足を踏み入れたという人もいることでしょう。
自分次第といっては身も蓋もないのですが、あえて言うなら、そうとしかわたしには言い表せないようです。
よく観察を
いろんな人の姿や意見に触れ、「どうも違う気がする」「それはその通りだと思う」といった、ご自身の感情をよく観察してください。
どちらの感情であっても、その先が真っ暗なんてことはないはずです。
わたしはそう信じて、今も生きています。それだけが、生きることの支えであると言っても、言い過ぎではありません。
わたしはそう思っています。
あとがき
想いをそのままぶつけるように、ただひたすら書きなぐりました。
読みにくいことは承知です。申し訳ありませんでした。
えすさんへ。
昨日の熱のこもった記事を読んで、先に言ったように、わたしは泣きそうになりました。
それでも、ただあのときはそんなふうに書きたかっただけで、後日見返してみたら恥ずかしい、イヤだ、もう消したい!
そうお思いでしたら、ご連絡ください。わたしも合わせて、この記事を削除する気持ちです。
ではでは。