ぎゃんすさん(id:gyansudayo)のブログを読んでいて、心に残るものがあったので書きたいと思います。
年末年始のSNSを見るのがつらいという話のあとで、こう綴られておりました。
悩んだり考えすぎてもきりがないので、「目の前を楽しむ」ことだけに集中しようと話した。目の前のこと、目の前のこと、目の前のこと、目の前のこと。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。
社会との相愛2@23 - 夜風につづく今であれ
あぁそうだよな。
率直にそう感じたし、数日たってもこの部分だけが妙に頭に残ってしまい、これを書いています。
(人の心に言葉を残すってすごいことよね。)
以前なにかの本で、憧れるのは良くないことだという話があったのを思い出しました。
こんな内容です。
憧れるというのは意識が今になく、遠くの未来に行ってしまっていて、そこから戻ってきていない状態だ。
まるで、机に肘ついてぼんやりヨダレ垂らしながら思い浮かべているだけだ、ということでしょうか。
それに対し、僕はハッキリ悪いとは思っていません。
机に肘ついてぼんやりすることを100回くらい繰り返して、ようやく「あ、自分はそっちに行きたがっているんだな」って気がつくパターンがあるじゃないですか。というかむしろそっちのほうが多い気もする。大人になればやらなきゃいけないことが多すぎるのだから、ムリもないことです。
けれど、考えているだけで行動していないうちは、いつまでたっても妄想です。妄想していたって、実際にやってみなければわからない。
僕の場合、それは農業でした。
農業をやってみたいと妄想していたことを自覚して、昨年2021年にチャレンジしました。長野県での畑仕事です。結果、本業にはできないなと理解したのでキッパリやめました。
実際にやってみたので、もう未練もなにもありません。
【2021年まとめ】愛を与え愛し尽くして終わりたい - 3年ブログ
妄想して、憧れているあいだが一番たのしいしラクなんですけどね。でも本当に望むなら、やってみないことには始まりません。
そして実際にやってみると、これがまたやればやるほど険しくなっていくもので。やればやるほど距離が遠のいていって、妄想や憧れによって膨らんだ希望がみるみるうちに萎んでいきます。だんだん自分にはムリなんだ、って思い始めてしまう。
それでもやるのかどうかっていうのは、本人の望む強さよりも、いかに目の前のことを繰り返しやれるかが大事なはずです。
どれだけ望んだって、行動には結びつかなかったら結果にも繋がりませんもの。
逆のいえば、そんなに望んでなかったのに、目の前のことを繰り返していたらいつの間にかトンデモナイ場所までたどり着いてしまった、なんてことがあるわけです。
そういう人ってたまにいますよね〜。
目の前のことを繰り返しできるかどうかで、人はどこかへたどり着くんだと思います。望みはたぶんあってもなくてもいい。あるならマーケティング的な発想で狙いを定められるでしょうし、ないならサプライズを期待できるわけです。
このブログは2023年で満7年を迎え、8年目に突入しますが(書いていてマジか、と思ってしまった)、何も狙っていないのでサプライズ待ちです。何がやってくるんだろうか。
山登りみたいですね。
目の前に集中して、右足を一歩出して、左足を一歩出して。いくら頭上を見上げてもたどり着かないけど、登山靴を前へ出していればいつかはどこかへたどり着く。
目の前のこと、目の前のこと。
繰り返し、繰り返し。
まさに登山靴のような言葉だな、と思いました。