今日は会社見学に行ってきた。遠方だったので新幹線に乗った。
いまちょうど帰ってきてシャワーを浴びたところ。家を出発してちょうど12時間後に帰宅した。
すごく疲れたけど、行ってよかったと思う。
新幹線に乗っていて、マンションの窓からもれる点々とした明かりが見えた。
田舎から都会に戻ってきた実感がわいてきて、戻ってきたというリラックスした気持ちと、就職したらここを離れるのだという覚悟がうまれた。
就職活動をしていて思ったこと。
生きるのって大変だ。
生きるためにはお金が必要で、外見からは判断しきれない組織に入らないといけない。組織を創るにしても、今度は雇う人間の素性がわからないし、1人で仕事するにしたって、お金をくれる人間を選べない。
じゃあそれでも生きる理由ってなんだろう。
そんなことを考えるほどでもなく、でもふわっと浮かんだまま頭を離れない疑問がわいた。
人は「いま生きているから」という惰性だけで生きていけるのか。それとも、生きていたい理由があったり、生きなければならない理由があるのか。
「パンだけでは人は生きていけない」というように、人間はご飯を食べていければ生きていけるわけではない。そのためのお金が稼げれば他は何もいらないというわけでもない。
いまの僕が生きているのは、「いま生きているから」という惰性のおかげだと思った。
生きていたい理由は、……わからない。そんなのない、と言い切りたくない気持ちがある。それは本当にそんな理由がないことを直視したくないからなのか。あるいは生きていたい理由はあるけれど、あまりにも根本的すぎてわからないのか。
まるで大地震が起きて地中深くの断層が出てくるみたいに、なにか大きなこと、たとえば大病を患ったりしないと「根本的すぎるなにか」は浮かび上がってこないのかもしれない。
また、生きていたい理由はあってほしいけれど、生きなければならない理由は歓迎したくない。それは辛いと思う。この世に縛り付けられるというか……心に逃げ場がなくなる感じがする。
逃げグセがあるのかもしれない。といっても、いままで生きることから逃げた(つまり死んだ)ことはないけれど。
なんか、疲れた。
帰宅して、昼にホットドッグを一つ食べただけだったのを思い出すも、空腹感がないのでこのまま寝ようと思っていた。なのにホットココアを飲みながらこんなブログを書いていたら、本当にリラックスしてきたのかお腹が減ってきた。
僕は、心すこやかに生きていたい。
生きていたい理由はないが、どうせ生きるならそれがいい。