なんでこの道を選んだんだろう。
どうしてあのとき決めてしまったのだろう。
わからないものがあると、人は「なんで」「どうして」といって理由や理屈を求め、納得しようとします。
それが良いときもあるけれど、沼に引きずり込まれることもありますね。
この小説で面白かったところは、主人公がそうした理屈を求める心理を断ち切り、腹を決める瞬間がリアルだった部分です。
ストーリー
この小説は、ピアノの調律師になった青年の話です。
高校生のとき、学校のピアノを調律してもらう場に出くわすことになり、そこでまさにビビッときた外村青年。僕も調律師になりたいと決意し、専門学校で勉強します。そして地元北海道にある小さなピアノ調律会社に就職。
面倒見のいい先輩や皮肉ばかり言わってくる上司などに囲まれながら、調律師として、一人の人間として、青年が成長していくストーリーです。
面白かったところ
好きだとか気持ちがいいだとか、自分の中だけのちっぽけな基準はいつか変わっていくだろう。
あのとき、高校の体育館で板鳥さんのピアノの調律を目にして、欲しかったのはこれだと一瞬にしてわかった。
わかりたいけれど無理だろう、など悠長に考えるようなものはどうでもよかった。それは望みですらない。
わからないものに理屈をつけて自分を納得させることがばかばかしくなった。
物事に、いちいち理由を求めるのは間違っているのだと思いました。
なぜこうなってしまったのか、なぜあの人はこう言ったのか、どうして自分はこれを選んだのか、……。
人は理由を求めたがる生きものなのだと思います。占いや宗教が昔から続いているのはいい例でしょう。
また科学のように、理由を求め解明しようとするのは社会の発展につながります。けれども、自分の心のなかを探求するときには要注意です。そこは無限に広がる暗いトンネルのようなもので、憂鬱になっていく場合がよくあります(僕の場合)。
なので、あまり深追いしないための自戒として、「わからないものに理屈をつけて納得させようとするな」というメッセージが先の一節から伝わってきました。
さいごに
僕はいま、引っ越し作業をしています。遠方への就職が決まり、人生初の車も買いました。
そんな中、慣れ親しんだ町並みをいつものように買い物などで歩いていると、「これで良かったのかな」なんて考え始めます。
良かったもなにも、自分で決めたことです。だからあえて言えば「良い」という結論に至るのですが、心はそんなにシンプルにできてはいません。右に行ったら左が気になるし、左に行けば右が気になる。そういうものです。だからやっぱり、これで良かったのかと考えてしまう。
だけれど、『羊と鋼の森』を読むと、人生って自分の意思で決められるものもあるけれど、でも大部分は自分の意思とは離れたものによって決められていくのかなって思いました。
何によって決められていくか、わかるものもあるけれど、やはり理由がわからないものもある。人生とはそもそもそういうものだ、と教えられた気がします。