今日は、入社手続きのために会社へ行った。面接以来の訪問。車で行っても良かったが、何かあると怖いので歩いていった。未だにバック駐車が怖い。
齧り付いてでも
自分以外の人間は、こういうときにはどんな気持ちになるのか。
僕は今日、入社時に必要な書類の説明を受けたり、配属部署の上司と挨拶代わりの面談をしてきた。
身が引き締まるといえば聞こえはいい。でも率直な感想としては、青ざめるような気分になった。
当初希望していた部署ではなかったことも原因の1つ。
面接では応募職種の部門長から直接話を聞いて理解を深めることができていたし、最終面接でも同様だった。けれど、フタを開けてみたら違う部署に配属となった。新卒入社ならまだわかるが、中途でもこういうことってあるんだね。
面接では一切出てこなかった人と、今日初めて顔合わせをした。幸いにも良い人そうでホッとしたが、話を聞けばなかなかの激務っぽい印象を受けた。
今の心情としては、不安。けれど、業務範囲が広い分、いろんなことに関われる。3年ほどは負担の方が大きいと思う。でも、やっていくしかないという気持ちでいる。都会から地方へ移住してしまったし、それなりに腹をくくってここへ来たから。
頑張って認めてもらおうという気持ちはない。下手に意気込むとたぶん潰れる。3年ほどは、齧り付いていこうと思っている。とりあえず毎日ちゃんと出社して、ヘトヘトになって退社して、すぐ寝る。そうやってなんとか翌日へバトンを繋げていくしかないように感じた。
こりゃあ昨年から始めたドラムもしばらくはお預けになりそうだ。その分のお金や時間は、たとえばマッサージとか温泉などに使いたい。
目先の目標は、入社前までにできるだけ運転に慣れること。特にバック駐車はちゃんとできるようになっておかないと、通勤に困ることになる。
さいごに
「わからないものに理由を求めるな」。たしかにそうだなって思った。
これから先、どうなるかわからない。それは今回の就職に関わらず、どんな未来に対しても同じ。だから、わからないことをわからないままに保留する勇気が大切だと思った。
わからないことはいくら考えてもわからないのだから、それは棚に上げるようにして手放すこと。なんでこうなったんだと理由を求めたり、どうしたらいいんだと対策を練っても仕方ない。
仏教の勉強をしていたとき、諦めるという言葉の語源を知った。仏教ではこれを「明らめる」と表現するらしく、「明らかに見極める」という意味の言葉だと聞いた。
つまり、現状を明らかにすることで、どこまでが踏み込んでよくて、どこからは考えてもムダかを明確に線引するという意味なんだそう。
これからの少なくとも3年間くらいは考えてもムダであり、振られた仕事には齧り付いてでもなんとかやるしかない、というふうに明らめるほかない気がする。
考えてもどうしようもない。上司に言われたとおり、まずは毎日出社して最低限の仕事をこなすことに尽力したいと思う。